先日、自分が宇都宮で仕事をするようになった頃からセカンドオピニオンでお付き合いのあるラブラドールを手術することになりました。手術は脾臓にできた腫瘍、おそらく血管肉腫だろうと察しがつきました。飼い主さんはどうして気づいてあげられなかったのだろうという気持ちと、これからどうしたらいいのだろうという気持ちで落ち着かない様子でした。血液検査の結果は重度の貧血。このまま様子を見るのも危険だが果たして手術に耐えられるだろうか。この子はどんな顔をしているのだろう・・・その目にはまだまだ生きる力が漲っている。飼い主さんも同じような感覚を持っていたようで手術に踏み切ることになりました。とにかく出血を抑えて短時間で手術を終わすことに集中し開腹すると、レントゲンから想像していたものよりはるかに大きい腫瘍がお腹の中を占めていました。慎重に慎重に腫瘍を取り出し、脾臓から出ている血管を処理しお腹を閉じ終わったときには1時間が経過していました。術後の回復も順調で食事もとることができていたので退院させることにしました。退院当日の朝、飼い主さんからご飯をもらい、ぺろっと平らげ早く帰ろうよと言わんばかりに病院の階段をおりていきました。そして車の後部座席にどっしり座ると嬉しそうに帰って行きました。まさかこの姿が最後になるなんて思ってもみませんでした。
その日の夜中、なんか様子がおかしいみたいと電話をもらった次の瞬間、その子は飼い主さんの横で亡くなったそうです。もうすぐ14歳でした。自分の腕を過信していたわけではないけれど、経過がよかったので夢ではないかと思いたかったけれど、翌朝飼い主さんに電話をすると穏やかな最後だったことを教えてもらいました。そして『手術をしてくれてありがとう、この子もお腹の中がさっぱりして天国に行くことができました』と・・・。本当は手術なんかしなければもう少し生きられたかもしれないという思いもあっただろうに。後日、飼い主さんが挨拶に病院に足を運んでくれました。『先生ありがとう。また何かの機会にはお世話になりますね』と笑顔で病院のドアから帰って行かれました。本来ならばこちらが救ってあげなければならなかった患者さんとその飼い主さんに、こちらが救われてしまった日でした。そして病理の結果は出ていないけれど、この手の病気が早期に診断してあげられる診断と技術(あくまでも自分なりの)を確立せねばいけないと強く心に誓った日でした。
k.tachikawa says
私は何人かの獣医師を存じ上げていますが、のまた先生の注意深い観察と 的確なご判断、そして何より 手術の技術を信頼しております。のまた先生のところでだめだった命は 他の先生のところでも同じ様子、と私は思っています。飼い主の指針に ペットの命は全く依存しているんですね。医師としての責任と、飼い主の意向に沿って ペットを助ける難しさを知りました。最善を尽くしてくださる先生に対し、飼い主として過度の要求をしないよう 気をつけて行きたいと思います。